世界は深い藍色

日記、雑感、音楽

端的にいうなら死にたい

言いたいことでも衝動的に言えないことがある。「死にたい」なんて代表的だろう。しょっちゅう思うし、しょっちゅうツイッターに書き込みたくなる。もう全部放り出して死にたいって。実際死ぬ勇気があるのかわからないけどそう口にしたいことは沢山あるし、この日常が続ける価値のあるものかいつも確信を持てずにいる。
うつ病とかちょっと憂鬱なこととか気分が塞いでるとか自分でもその境界線がどこに引かれているのかさっぱりわからないし、誰しも自分の感覚で決めた線引きを基準にして、俺らみたいなグズは甘えた能無しって罵られる。
自分の最低限の生活も管理できない俺みたいなのは病気だろうって思うし実際俺はそういう病名で長らく通院してもいる訳だけど、きっとたまたま俺には運良く病名がついて病気と言える、あるいは運悪く病名がついて立派な病人として社会不適合認定なのかどちらでもいいけど、俺と同程度くらいの生き辛さでも対処できず弱者として鈍い強者に食い物にされてる人が沢山いて本当に死んだりしてるんだろうなあと思ったりする。
楽しいこともあるよ、だけどその数分後に全部がひっくり返る感覚を誰と分かち合えるっていうの?別に共感も理解もいらないけど、「それぞれ」ってことだけ少し片隅に持ってる人が二、三人増えたらもう少しだけ楽かもとかね、、、

だけどたった一ついま死にたいといつものように思ったとき一緒に思い浮かぶ言葉、僕は誕生日なんて今更めでたい気持ちなどないけど、あの人が「おめでとう」って、僕は「おめでたい齡でもないけどさ」って、そしたら「生まれたことにおめでとうだよ」って。
一緒にその言葉が浮かんで、僕は結局、あの人の言葉、そして笑顔でほんの少し死にたいを薄めてるよ。ありがとう、って話。